
アクセスして行く「橋渡し」の場とみなされることになるのです。
以上のような近年の認知研究の動向は、環境教育に対してどんな示唆を与えでくれるでしょうか。十分に吟味し切れませんが、まず第一に、これは教科教育の場合と同じですが、教師による一方的な伝達型の授業では意味がないことになります。とりわけ環境教育の場合は、確固たる学問を基盤とする教科とは違うため、伝達型の授業ばかりを行うことは元来不可能です。第二には、環境教育全体の中での学校の役割を問う必要があることです。学習者達は、環境や環境問題に関する情報を、日常生活やマスメディアを通じて相当に受け取り彼らなりの解釈をしています。ですから学校における環境教育では、このことを無視した授業は考えられないわけです。この点を踏まえたうえで、学校での環境教育の中心的な任務を検討して行く必要があるのです。第三には、教師と学習者間はもちろん学習者同士の間の交流を重視した学習活動が大切なことです。そのため、討論、ロールプレイをはじめ、本書で紹介しているような種々の学習活動が構成されるように配慮したいものですさて最後に指摘したいのは、環境学習には現実的な社会的実践への参加の可能性があるという点です。環境教育と1対1対応するような固有の学問は存在しませんし、また環境教育には、唯一の正解が決まっているような学習課題はかなり少ないからです。常に教師だけが権威をもって授業に臨むなどということが不可能になります。ですから環境破壊を起こしてきた人間の過去を振り返り、環境への負荷の少ない生活様式や社会構造を考えいていく、という点では、教師も児童・生徒もあるいは一般社会人も共通しているのです。初歩的・周辺的であるとはいえ、子ども達も、社会的・文化的実践の共同体の一員になれるわけです。既に行われている環境教育の事例の中にも、学校の枠を越えて行く実践が多々見られることはご存じのとおりです。
5 その他の検討を要する点
筆者に与えられた紙幅が残り少なくなりました。環境教育にとって重要な関連をもつにもかかわらず取り上げることができなかった二三の点を提示して、読者の皆さんに議論の素材を提供しようと思います。
次のような報告を聞いたことがあります。小学校3年生と6年生とにほぼ同様の授業を行った後で、「住みたい所はどこですか」と質問したところ、3年生の大半が「緑が豊かに残り近くに小川が流れている所」を選んだのに対して、6年生の場合は過半数が「駅が近く商店も多い都会」というのです(他の選択肢は省略)。そしてこの結果について報告者は、なぜ高学年の方が環境保全意識が低いのか、と不思議がっていたのです。
これは単純すぎる事例でしたが、この質問から、6年生の方が環境保全意識が低いと結論することは不可能なのです。小学生とりわけ低学年なら、教師や親が、例えば「草花や動物を大切にしようね」と言うと、彼らは往々にして「素直に」同意してくれます。しかしこの「素直さ」とは、たいてい「視野の狭さ・視点の少なさ」でもあります。先ほどの例の場合6年生ともなると、例えば塾に通う子どもが増えます。中学生になったら離れた私学に行こうと思っている子供もいるでしょう。また草木が茂り小川もあるとすれば、ヘビもカなどの害虫もいるのではないか、と考えた者もあったかもしれません。このように問題を考える際の視野が広がり、視点が増えたのです。ですからこの事例の場合、6年生の選択傾向は、むしろ彼らの成長・発達の証拠と言ってもよいでしょう。そもそも「緑が豊かに残り近くに小川が流れている所」なる選択肢と高い環境保全意識とが対応しているなどとは、簡単に言えることではありません。
上のような質問は一般的な世論調査ではあ
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